日本の板締め(Clamp-Resist Dyeing)−紅板締めと藍板締め−

 板締め(Clamp-Resist Dyeing)は文様を彫った板で布を締めて防染し、文様を染め出す染色技法である。
 板締め(Clamp-Resist Dyeing)は8世紀に中国から伝わり古代を代表する染物のひとつで古代では夾纈と呼ばれ、正倉院に多くの優品が伝えられている。夾纈は奈良時代に隆盛を極めたが、平安時代に入ると徐徐に衰退し、やがて途絶えたと考えられている。その後の板締めは、時代が下がり「紅板締め」(18世紀後半〜1920年代)、19世紀後半まで行われた「藍板締め」が知られている。
 古代の板締め(夾纈)は多色染、単色染と多様な展開がみられたが、18世紀以降の板締めは藍染と紅染の単色の板締めでる。
 日本では、一般的に「板締め」は「板締め絞り」を指し絞りの一種と見なしている。「板締め絞り」は布を細かく折りたたみ、三角や長方形の平板(型板)で挟んで幾何学的な文様を染める技法である。ここでの対象は文様を彫った版木を使う板締めで、板締め(Clamp-Resist Dyeing)と呼ぶことにする。
 18世紀に入ると、鮮やかで華やかな紅花の色が人々に好まれ紅花の生産量が増え、一方木綿が庶民の織物として普及し藍染の需要が高まってくる、それに呼応するように「紅板締め」、「藍板締め」が開発され隆盛した。まず、「紅板締め」から始められたと思われる。紅花の文様染めは糊で防染する型染めでは技術的に難しい。紅花の文様染に適し、紅花染の需要の増加に応える量産にも適した「紅板締め」がおこなわれ発展した。「紅板締め」は紅染の防染技法として、江戸時代中期頃に京都で行われるようになったと考えられています。
 紅染には山形産の紅花が用いられ、1910年以降合成染料に取って代わられた後も、紅板締めはしばらく行われますが大正時代末には廃れました。「紅板締め」の資料は京都府資料館、国立歴史民俗博物館、島根県立古代出雲歴史博物館に所蔵されています。
 一方、「藍板締め」はわずかな染色裂が遺され、出雲地方で行われた「藍板締め」の資料(古文書)、道具類(版木、締め道具)のみ確認されている。「出雲藍板締め」業を営んでいた板倉家からの資料(古文書)、道具類(版木、締め道具)が島根県に一括寄贈を受け、出雲藍板締めの復元研究が島根県古代文化センターで進められました。紅板締めでは主に薄手の絹地であるため、紅花の浸透はよく、染着く布は何重にも折り重ね挟むことが可能で版木の数も少なくてすみます(一匹の生地に両面彫り版木12枚片面彫り22枚)。それに比べ、藍板締めで使用する藍は空気酸化の工程を経てはじめて発色、定着する染料で、上下の版木に一枚の布が挟み、一反に両面彫り二十数枚、片面彫り四十数枚を必要とした。
 「竹に虎」などの出雲地方独自と思える文様のみに目を向けなければ、両板締めの文様構成の発想は同じものであることがわかる。藍板締めと紅板締めは長尺の生地を染め出すために版木を複数枚使い、文様が繰り返される意匠が主になる。両板締めとも花鳥文様を基本に、器物、動物、吉祥文様などの伝統意匠が大半を占め、ある物語から誘発されたイメージ、テーマ性のあるものが多くみられる。
 「紅板締め」の用途は表着、帯、下着(間着、襦袢などの肌着)、寝具などであるが、合成染料転換後は主に下着として用いられた。紅花で染めた時期は富裕層であったが、合成染料後は価格が下がり購買層も格段に広がった。「藍板締め」では木綿地のみが確認されている。「藍板締め」の布は長着、野良着、下着、手拭いなど庶民に使用された。
 「紅板締め」の特徴をあげれば、①単色染に限定することで、長尺な反物を染めることができる②一度版木を作れば、繰り返し使える合理性③一度にたくさんの布を染めることができる量産性(約60m)④文様を布の両面に染め出す両面性。⑤型染に比べ、文様の染め上がりが柔らかい等である。
 一方、「藍板締め」は①単色染に限定することで、長尺な反物を染めることができる②一度版木を作れば、繰り返し使える点では「紅板締め」の特徴と共通するが、一回に約10mしか染めることがでず、長時間の時間を要し③量産の技法ではない。④当時の美意識にかなう地を白く、文様を藍色で表す「地白」藍染を得意とし、⑤「にじみ」、「染め際の柔らかさ」の特徴が庶民に支持され「藍板締め染」がおこなわれるようになったと考えられる。
 古代の板締め染である夾纈が藍色1色の単色染や複数色で華やかに配色されたのに対し、18世紀以降の板締め染は基本的に藍染の青色と紅花染の赤色の単色に染めるための防染技法である。古代の板締め(夾纈)裂のなかには、同一文様で単色と多色の裂がみられ、版木を使い回し染められたと思われる。1960年代発見されたインド板締めの版木、染色裂から古代板締め(夾纈)の版木は2枚一組で用いられた。
 近世の板締めは長尺な布を染めるため、複数枚の版木を使い単色染めに特化していて、発想や道具類を含め染色方法が異なっている。それらからも藍板締めと紅板締めをストレートに古代板締め染の延長線上に位置づけるには無理がある。
 両板締めは長尺の生地を同一文様で染め出すために版木を複数枚使い、文様が繰り返されるパターンの意匠が多数を占めるなど共通している点が多く見られ、日本人にとって、青色と赤色は古代から特別色、基本的な色であり、藍板締めと紅板締めの両板締めは対の関係になるかと考える。
 日本の板締めは、使われた道具類、締め具、染め桶など多くが木で作られ、遺された膨大な版木からも、森のもたらす恩恵の産物だと云える。